岐阜県羽島市の整体は治療院空海
治療院 空海
〒501-6326 岐阜県羽島市桑原町東方1055-1
完全予約制・火曜定休・夜間営業・岐阜羽島ICより9分
1968年2月4日、岐阜県羽島市、田んぼ一面の田舎町に生まれた。
真面目な建具職人の父、妹をおんぶ抱っこで仕事を手伝う母、しっかりモノの妹、社交的な弟の5人家族。
母の姿が見えなくなると何時もベソをかく泣き虫な幼少期。保育園バスが家の前で止まると目にいっぱいの涙、扉が開くと同時にボクの悲鳴が近所に響き渡る。
「しんいちくん、おはよう♪」迫り来る保母さん!母の足にしがみ付き2対1の格闘が始まる始末だった。
3日目まではめっちゃ可愛かった…
3週間過ぎる頃はちょっと辛かったかな(笑)
流石に3年間となると毎日、大変なイベントだったと思う。愛を与え続ける母親の存在は素敵だ。
6人兄弟姉妹で末っ子の母。母のお母さんは早い時期に亡くなり、お父さんと兄弟姉妹に育てられた。裕福ではない家庭。色々な事情から養子縁組の話しが何度もあり寂しい思いで育った。
父との出会いから新しい生活が始まる。義理母(れい婆さん)は地域の人気者で慈愛に満ちた女性だ。そんなれい婆さんに出会った母は、週に何度も何回も本家へ通い続ける。
お腹の中に弟がいる時も妹を背負い、れい婆さんに会いに行く。
母親を知らない幼少期のぽっかり空いた穴を埋めたい… れい婆さんもそれを悟り、受け入れていたのだと思う。
お腹の中にいる弟をしわくちゃな手で撫でるれい婆さん。嬉しそうな母。
妹も頭を撫でられハグされている。そんな光景を見ていると、ボクも同じことをされていのだと想像がつく。
痛い時、自分でさするが痛みは消えない。でもれい婆さんに触れられると痛みがなくなってしまう。
十月十日のお腹の中の記憶はない…
でも、細胞の一つひとつが覚えているのだと思う。
何時も撫でられ、ハグされていた幼少期。
れい婆さんの愛情充電はボクが中2の時で終わった。天国へ召されたからだ。
最後の1か月間は意識なくずーっと寝たきりだった。話しかけても、撫でても何も起こらない。
でも、息を引き取る数秒前、「典子さん…」と母の名前を叫んだ。
れい婆さんありがとう。血のつながりがなくても親子なんだ…と感じた。
高等学校を卒業して、仕事に就くが長続きする事なくブラブラ生活が続いた。
夢があるわけでも、やりたい事があるわけでもなく、仲間に囲まれ勝手気ままに遊ぶ生活は3年間。
父は何も言わない。母は心配をするが、口うるさく叱るわけでもない。
「あなたの人生だから好きにやりなさい。人に迷惑はかけないでね」と言われるだけ。
恥ずかしさと情けなさで一杯になった。
一目惚れは21才の時。
この女性と結婚したい!と一途な思いから仕事は大工を目指した。
職人の父、手伝う母の姿を何時も見ていたからだ。
仕事に対し真面目に打ち込むようになった。休みなく働いた。
何時も元気なボクを見て「健康優良児か!?」と、棟梁にからかわれていた。「病は気からです」と何時も言い返していた。
単純な思いはブレることなく24才で結婚。男の子が生まれ、そして女の子が続いた。
元気いっぱい暴れまわる長男。寝ているか暴れているかごはんを食べているか、そんな単純な子どもを見ていることが楽しくてしょうがなかった。
お腹がすいた時の泣き声、ウンチの時の泣き声、調子の悪い時の泣き声、子どもと一緒にいると色々な表情と感情を感じ取る事が出来た。
娘が5才の時、「もう、パパとは一緒にお風呂に入らない」と突然言われる。翌日、朝から体調不良で仕事を休むことになる。
棟梁には「病は気からだよな」とからかわれた。仕事を休むなんて久しぶりの事だった。
36才の時、決意新たに独立することにした。仲間や多くの業者さんが背中を押してくれる事に感謝でいっぱいだった。
リフォーム工事や増改築工事、店舗工事。新築と言う大きな工事も受注する事ができる様になった。お客さんがどんどん増えて行った。でも一番嬉しいことは紹介を頂けることだった。
41才の時、厄年だからと母から厄除け祈祷札をもらった。3年間は気を付けて生活をしなさい…と言われた。
気を付けていない訳ではなかった…。後厄の年、今まで経験のない痛みに襲われた。
痛みは9カ月もの間続く事になる。
独立開業6年目、家を建て3年。充実な日々が続く矢先の出来事だった。
毎晩3袋の湿布を貼り、薬を飲み、痛みで目が覚め、起き上がれない毎日が続いた…。
マウスワンクリック、「ヒヤっ」と刀で斬られる痛みは「うっ…」と息を止めてしまう。
人差指3ミリの動きに敏感に反応する右半身。息を吐く、吸う…当たり前のことが出来ない。頭一つ動かす事が出来ない身体はまるで別人だった。
名医が在籍する総合病院、整形外科…。権威ある先生たちは「原因はわからない」と真顔で言う。レントゲン、CT、MRI検査をするが何もわからなかった。
そして、「触れることもしない」「目も合わせない」「大丈夫ですよ」と声をかける先生なんて一人もいなかった。
どうすればイイのかも分からないから、めっちゃしんどかった。
どこへ行っても、何をやっても治らない身体。心もボロボロになって行く…。そして、6カ月後には救急車で運ばれた。
搬送先は日本赤十字病院。運ばれたからって、右半身の痛みが回復する訳ではない。
でも、飲み薬と座薬のペアは今までにない最高の組み合わせだった。そして、痛みが無くなり眠くなる点滴は毎晩打ち続けてもイイと思った。
痛みで目が覚める毎日が続く。湿布の副作用で肌は紫色に変わっている。
痛みがなくなるのなら、クスリ漬けの毎日でもイイと考え始めたころ、15人目の先生との出会いがボクを変えた。
生活も人生も変えた。出会いは突然だった。
これが最後と、ある整体院へ行く事を決める。9カ月ぶりに身体に血が流れる感覚が生まれ、ビックリした。破天荒な治療をするでもなく、機器を使うでもない。世間の常識で言う「権威がない」民間療法だった。
施術を受け3分、自然と涙がこみ上げて来る。止まらなかった…。
35年前のあの記憶、あの感覚と感触がよみがえって来た。
そう、れい婆さんの「手当て」を思い出した。
偶然じゃない! 必然の巡りあわせだと感じた。手当てを受ける度に深い眠りにつく事ができた。二時間かけて毎週のように通った。
先生のマネをしたい衝動に駆られ、見よう見真似で自分の身体に触れるが全く変化はなかった。逆に痛い身体に戻ってしまう。
「何かやられましたか?」見透かされている! この26才の先生に全く歯が経たない事がわかると素直に受け入れ「弟子にしてください」と伝えた。回復に時間はかからなかった。
やがて、ボクと同じように悩み苦しむ人の手助けがしたくなり、今度はボクが恩返しをしなくてはならないと考えた。
翌年から始まるセラピスト養成学院の試験に合格。
狭き門は5人の合格者。
カリキュラムの内容は多岐に渡る。インターネット配信される講義は120分間の30回。実技合宿は何度も何時間も続いた。
インターネット環境の悪い自宅。
近所のマンガ喫茶へ毎週2回、30週通った。快適な個室ブース、目が覚めると朝だったこともしばしば。着信履歴アリ、家に帰るのがとても怖かった(笑)
大工仕事と平行して毎日勉強に明け暮れた。家族、職人仲間を相手に施術練習をした。
この期間は本当に脳ミソがヘトヘトだった。でもめっちゃ楽しい時間だった。
2014年1月、整体院をオープンする。
空海では子どもの成長痛、アスリートのスポーツ障害。そして、「どこへ行っても、何をやっても治らない」患者さんがたくさん集まる。
痛みを我慢し続ける小学生。
治療途中で諦めた高校生。
手術をしても治らない大学生。
そして、「もう来ないでください」と見放される女性。
皆、紹介や口コミ、ホームページを見つけ集まって来てくれる。
とてもありがたい事。お母さん、お父さん、子どもたちを連れて来てありがとう。
皆さんに感謝します。
ここまで長い動画を見てくださり本当にありがとうございました。
多くの出会い、沢山の人に支えられここまで来ることが出来ました。
ボクは元患者です。だから、あなたの痛みがわかる。
子どもを持つ親だから、お父さんとお母さんの気持ちもわかる。
そして、日々患者さんから色々な事を学んでいる。皆さんは生きた教科書だからです。
経験と体験を知恵に変え 全てを伝えている。
伝えることで価値が生まれる。
そして、ボクの「手当て」と言う施術を受けて欲しい。身体で感じて欲しい。
皆さんに伝えることがボクの使命です。
FIN
空海は民間療法の整体院です。保険診療は出来かねます。
完全予約制です。必ずお電話で予約を取ってください。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 | |
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午前 10:00~13:00 | △ | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
午後 15:00~21:00 | △ | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
休 日:火曜日・火曜日・第2、4月曜日
当院は予約制となっております。事前にご予約の上、ご来院ください。
岐阜市・大垣市・各務原市・本巣市・関市・郡上市・高山市・一宮市・名古屋市・桑名市・四日市市など近県地域、岐阜羽島IC、JR東海を利用して県外【愛知県、三重県、滋賀県、京都府、福井県、石川、静岡】からも多くの患者さまにお越しいただいております。ありがたいことです。